みなさんは3歳児(年少クラス)だったころの記憶はありますか?
ところどころある、って方もいるんじゃないかな?
ちなみに夫は「まったくない」と言っていました。
私は息子を見ていると、事あるごとに自分が3歳の頃の記憶がよみがえってきます。
「繊細な3歳児からはこう見えているんだな」と参考になるかも、と思い…
私が思い出せる限り集めてみました。
「たまたま記憶力がいいだけでしょ?」と思われた方。
ちなみに、私は遺伝子検査で「記憶力がやや悪い」と診断されています。笑
つまり、記憶力が悪い私の記憶に残っている=「HSCが記憶に残りやすいポイント」なのではないかな。
それでは、HSCの世界へレッツゴー。
3歳の記憶
さて、まずは3歳の記憶からです。
里帰り時のおばあちゃんちの記憶と、自宅での記憶があります。
1.妹が産まれて里帰り
私は3歳1か月のときに妹が産まれています。
大きな地震があった年で、私の祖母が里帰りの延長を勧め、妹が産まれてから半年ぐらいはおばあちゃんの家にいたようです。
産まれたばかりの妹と対面した記憶などはないですね…。
ですが、3歳前半の里帰り中のエピソードは2つあります。
セーラームーン変身ごっこ
私が覚えているのは、セーラームーンのステッキを持って変身しまくっていたこと。
母と、叔母と、祖母の前で、リビングでとにかくよく踊っていました。
ちなみに今も実家にステッキはありますね…。
赤い月
ある夜、家の窓から外を見たら、なんと月が赤かったのです!
私は、びっくりして、母にも叔母にも祖母にも、「ねえねえ今日の月赤い!」と興奮して伝えたのに、みんなふーん、となんだか無関心…。
ムキになり口うるさく騒いだのを覚えています。笑
夜だったので、きっと私以外はみんな食事の支度やらお風呂やらで忙しかったんでしょうね。
赤い月というと、皆既月食かな?と思ったのですが、妹が産まれて半年後にあったようなので、もしかしたらそうかもしれませんが…
可能性が高いのは、「ブラッドムーン」。
月の位置が地平線の近く、つまり低い場所にあると光の屈折の関係で赤く見えるそう。
朝日や夕日が赤く見えるのと同じ原理だそうです。
皆既月食だったらすごいけど、時間帯的にも、昇り始めの赤い月を見たのではないかな、と思います。
2.幼稚園年少に通うか聞かれたこと
私は11月生まれなので、ちょうど3歳~3歳3か月ぐらいの間に、幼稚園の申し込みがあったはずです。
私は、いつも遊んでいる部屋じゃない部屋(多分生まれたばかりの妹を見ていた部屋かなあ?)に呼ばれ、正座した真剣な表情の母に、
「幼稚園行くのと、おうちにいるの、どっちがいい?」
と目を見て聞かれたのを覚えています。
そして、
「おうちにいる!」
と即答し、遊ぶ部屋に走って戻りました。笑
即答したし、走り去ったけど、母が「なにか真剣なはなしをしている」というのは伝わってきたし、そのときの雰囲気も覚えています。その真剣な感じがこそばゆくて、走り去ったのかも。
HSCは、態度や外から見える反応以上に、意外としっかりわかっている(こともある)でしょうね。
のちに母に聞いたら、私のお友達が年少から幼稚園に通うと聞き、あとで私に恨み言を言われないように、確認したんだそう。
母は、私が覚えていたことに驚いていましたよ。
3.カンガルーなりきり
お次は、クセが強いサラダの食べ方をしていた話。
食事する部屋にサラダが置かれると、私はレタスを1枚口にくわえて
「カンガルー!!」
とぴょんぴょんしながら大移動します。笑
リビングを出て廊下を抜け、キッチンを通りすぎ
(壁向きのキッチンに立つ母の「何してんのー」的な注意が背中越しに聞こえる)
なんか違う部屋に入り。
むしゃむしゃ。
食べ終わったらレタスを取りに行き…
の繰り返し。
もしかしたら4歳以降の記憶かもしれませんが…。
母は、葉物野菜食べてくれるなら、ぴょんぴょんしようが構わないという気持ちだったでしょうね。
4歳の記憶
続いて、4歳の記憶です。
年中から幼稚園に通い始め、いろいろな体験をしていきます。
出来事として印象深いのは、ショッキングなことが多いかも。
でも、トラウマになっているというほどではありません。
…最後をのぞいて。
1.給食延長タイム
幼稚園の給食は、食べ終わるまで昼休みになれず、居残りで食べていたのを覚えています。
単純に食べるのが遅かったのと、小食だったこと、残すとなんだか食べ物に申し訳ない感じがして、頑張って食べていました。
特に年長のクラスの先生は厳しかったなあ…。(5歳のころ)
2.お気に入りのハンカチ事件
ちょっと強めの女の子のお友達に、幼稚園の廊下で
「そのハンカチちょうだい」
と言われ、言われるがままにあげてしまった事件がありました。
本当はもちろんあげたくなかったけど、断ったらどうなるか怖かった私は、ニコニコして「いいよ」とあげてしまいました。
その日持って行ったハンカチを持って帰ってこなかったんですから、母にどうしたの?と聞かれますが、なんて言ったんだったかな…。
怖くてあげちゃった、とは言えなかったんです。
「○○ちゃんにあげちゃった」「もういいの」
みたいなことを言ったような気がします。
母はなにかあったと察したのか、なくしたんでしょ!とか怒られたりはしませんでした。
我が家は実は、母もHSP気質です。
HSSではなく、HSEという、刺激はいらないけど繊細で社交性があるタイプ。
その○○ちゃんがどんな子か、もわかっていたでしょうから、察しがついたのかもしれませんね。
3.水曜20時の恐怖
父が平日仕事から帰宅すると、ご飯を食べながらテレビを見ていたんですけど、父が見ているとある海外ドラマのオープニング曲がもうめちゃくちゃ怖かったんですね。
それがテレビで流れると急いで寝室に逃げ込んでいました。
のちには「もうすぐこの曲が流れるから寝に行かなきゃ」と事前に避難するスタイルを確立。
なんか、UFOっぽい映像と、耳にこびりついた不穏な曲…
大人になってからテレビで曲を聴いたのをきっかけに調べ、辿り着きました。
正体は「Xファイル」というドラマ。
日本では1996年11月~水曜20時に放送していたようです。
私が4歳のころです(年バレしていくスタイル)。
父があぐらで座っている後ろ姿。
UFOっぽい物体が映るテレビ画面。
そして逃げる私の背中を追いかけてくる、不穏な「ちゃ~ら~ら~ら~ら~ら~♪ポロロロン、ポロン…」
今でも鮮明にその光景が脳裏に浮かびます。
ああ、こわいこわい。やだやだ。
息子も結構子供向け番組でもNGシーンが多いです。
ドキドキハラハラする部分は好きじゃないですね。
私も、ホラーとかサスペンスとかはあまり好きじゃないです。
HSCの子にとって刺激が強すぎる映像は、本人がしっかり嫌がると思うので、なるべく避けてあげたほうがいいんじゃないかな、と思います。
「嫌がることを強要しない」。
HSCに限らずですけどね。
まとめ
この記事では、HSS型HSPの私が、HSCであった幼少期、3歳4歳の頃の記憶を遡ってみました。
同時にINFP、つまり内向感情型で、「自分の感情」に焦点を当てて生きてきたので、HSCの子の感情としてこんな感じなんだな~、こんな気持ちになることもあるんだな~、と感じてもらえると嬉しいです。
HSCみんなが幼少期の細かい記憶があるわけではないでしょうけど、3歳半の息子と接する上で、大人になってもこのやりとりをもしかしたら息子は覚えているのかも、と思うと感慨深い気がします。
あるある、わかる、と共感してくれた方もいらっしゃるでしょうか。
「HSCの子のことが全然わかんない!」と思っている非HSPのご両親にも、HSCの心の中というか、世界の切り抜き方が伝わっていると幸いです。
それでは。
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